開拓時代の主役はワスプであった。だから、インディアン、黒人奴隷も、女性も、「アメリカ人」には含まれていなかった。そして開拓時代に、現在の価値観やライフスタイルの原型が形作られていった。(中略)開拓者たちが正午の大砲を合図に、四つの杭をもって自分の土地に印をつけるというエピソードは、アメリカ人の平等感を教えてくれる。「アメリカ人」にとって「平等」とは、同じスタートラインに立ち、同じ条件で競争できることを意味する。つまり、アメリカンドリームを手に入れるためのチャンスが等しければいいのである。これを「機会の平等」(equal opportunity)という。1776年の独立戦争では、「すべての人は生まれながらにして平等であり、神により等しく与えられた権利を有する」と謳われているが、この場合の「平等」とは、あくまで「機会の平等」のことをさしている。
しかし日本における「平等」の概念は、これとは全く意を異にする。「平等」という言葉を日本語の辞書で引くと、「偏りや差別がなく一葉で等しいこと」と説明されている。日本語で「平等」というと、このような「金太郎アメ」的なイメージを思い出させるのである。すなわち、色も、形も、大きさも、味もすべてみんな同じであるという、画一的ないし均質性である。すなわちこれは、結果の平等を意味する。(略)
アメリカには黒人やインディアンの他にも、アイルランド人、イタリア人、ユダヤ人、プエルトリコ人など、様々な人種がひしめいている。そういった異分子たちをひっつけるニカワのような役割を果たしたのが、普遍的原理としての「自由競争」であり、それを保障するための「機会の平等」という考え方だったのである。これによって異文化同士の衝突が「自由競争」という方向に回避され、国家全体が活性化された。そしてこれは「自立・自助・勤勉」という「古きよきアメリカ」のライフスタイルを生み出した。これによってアメリカは、20世紀を通して急激な成長をとげ、その結果「偉大なるアメリカ」「強いアメリカ」が誕生した。そしてADAは、徹底してこの「機会の平等」という考え方に貫かれている。つまり、開拓時代につちかわれた「チャンスの国アメリカ」というアメリカンドリームを「障害をもつ人」にも見られるようにした法律がADAなのである。
八代英太他編[1991]『ADA(障害をもつアメリカ人法)の衝撃』pp.79-81
しかし日本における「平等」の概念は、これとは全く意を異にする。「平等」という言葉を日本語の辞書で引くと、「偏りや差別がなく一葉で等しいこと」と説明されている。日本語で「平等」というと、このような「金太郎アメ」的なイメージを思い出させるのである。すなわち、色も、形も、大きさも、味もすべてみんな同じであるという、画一的ないし均質性である。すなわちこれは、結果の平等を意味する。(略)
アメリカには黒人やインディアンの他にも、アイルランド人、イタリア人、ユダヤ人、プエルトリコ人など、様々な人種がひしめいている。そういった異分子たちをひっつけるニカワのような役割を果たしたのが、普遍的原理としての「自由競争」であり、それを保障するための「機会の平等」という考え方だったのである。これによって異文化同士の衝突が「自由競争」という方向に回避され、国家全体が活性化された。そしてこれは「自立・自助・勤勉」という「古きよきアメリカ」のライフスタイルを生み出した。これによってアメリカは、20世紀を通して急激な成長をとげ、その結果「偉大なるアメリカ」「強いアメリカ」が誕生した。そしてADAは、徹底してこの「機会の平等」という考え方に貫かれている。つまり、開拓時代につちかわれた「チャンスの国アメリカ」というアメリカンドリームを「障害をもつ人」にも見られるようにした法律がADAなのである。
八代英太他編[1991]『ADA(障害をもつアメリカ人法)の衝撃』pp.79-81
▼ 修論発表会の準備
修論の経過報告会が近づいているので、K教授に現段階での研究のコンセプト、章立てを見てもらう。
「現時点としては完成度が高いので、これでいきましょう」とのお言葉をいただく。
とりあえずホッとした
「でも福祉専門の教授から、ツッコミがあるかもしれないなぁ・・」なんてこともおっしゃっていた。
まあ、最初なので、別に突っ込まれてもいいだろう。教えを請うつもりで意見を伺いたいと思う。
先日読了した本
内容(「BOOK」データベースより)
21世紀の超高齢社会では誰かの援助や世話を受けてしか生活できない高齢者が多くなる。共に助け合い支え合うシステムづくりが求められるのである。共に生き支え合うバリアフリーの社会こそ、社会を彩り、豊かにするのである。企業がグローバルな経済活動を展開し、多元的な価値観や文化の中で共生していくためには、企業は管理から支援へとパラダイムを転換する必要がある。本書は、このような支援の概念を明らかにし、その理念に基づく企業の役割を分析している。
「現時点としては完成度が高いので、これでいきましょう」とのお言葉をいただく。
とりあえずホッとした

「でも福祉専門の教授から、ツッコミがあるかもしれないなぁ・・」なんてこともおっしゃっていた。
まあ、最初なので、別に突っ込まれてもいいだろう。教えを請うつもりで意見を伺いたいと思う。
先日読了した本
狩俣 正雄 / 中央経済社(2000/09)
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内容(「BOOK」データベースより)
21世紀の超高齢社会では誰かの援助や世話を受けてしか生活できない高齢者が多くなる。共に助け合い支え合うシステムづくりが求められるのである。共に生き支え合うバリアフリーの社会こそ、社会を彩り、豊かにするのである。企業がグローバルな経済活動を展開し、多元的な価値観や文化の中で共生していくためには、企業は管理から支援へとパラダイムを転換する必要がある。本書は、このような支援の概念を明らかにし、その理念に基づく企業の役割を分析している。
間瀬 啓允 / 法蔵館(1991/07)
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修士論文で「企業の社会貢献」を追究する際には、論理的に、冷静に、客観的に、を貫きたいと思っている。
しかし日本の企業内における社会貢献というのは、論理で割り切れない部分もあるのではないか。
この本を読んで、そのことを思い出した。特例子会社を立ち上げる経緯には、必ず情を持った人間が存在し、会社の経営層を動かしていくという事実がある。
そして雇用された障害者から、企業側の人間が情を学ぶことも大きいと思う。
「共生・ともいき」の思想である。この本は「ともいき」についても語られている。
アメリカ型の企業倫理の理論に「ともいき」の観点を入れることは不可能だろうか。水と油のような関係であるが、検討してみたい。
入学前に提出した研究のテーマは、この1ヶ月で少しずつやりたいことが変わってきている。
「企業における、社会貢献(具体的には特例子会社)の現状把握・事例の分類」に重きを置く予定だったが、それよりも「社会貢献の倫理的価値とはいったい何か? 一般に善いことと言われているが、本当に善いことなのか? 善い社会貢献とはいったい何なのか?」の追究に力を入れたい。
場合によっては「企業の社会貢献なんて価値なし」という結論になることもあり得るわけで。
しかし・・企業で社会貢献担当者としてやってきた立場からすると「論理的に検証してみても、やっぱり大切だってことがわかった!」という結論に持っていきたいと思っている。(これは恣意的なのだろうか・・)
「企業における、社会貢献(具体的には特例子会社)の現状把握・事例の分類」に重きを置く予定だったが、それよりも「社会貢献の倫理的価値とはいったい何か? 一般に善いことと言われているが、本当に善いことなのか? 善い社会貢献とはいったい何なのか?」の追究に力を入れたい。
場合によっては「企業の社会貢献なんて価値なし」という結論になることもあり得るわけで。
しかし・・企業で社会貢献担当者としてやってきた立場からすると「論理的に検証してみても、やっぱり大切だってことがわかった!」という結論に持っていきたいと思っている。(これは恣意的なのだろうか・・)


